[BMW miniの歴史(1970〜2000)3]:BMW miniについて

BMW miniの歴史(1970〜2000)3

 Miniの新しいクーパーモデルについては、1990年から1991年にかけ、1960年代のクーパーよりも性能的に若干劣るスペックのモデルが一時的に再発売されました。

 このモデルは非常に人気を得て、新しい「Cooper」ロゴを付けたMiniは1991年終わりにはフル生産に入るほどになりました。

 1992年からクーパーはインジェクションタイプの1271ccエンジンとなりましたが、これはメインターゲットであった日本市場からの要望からと言われています。  日本の高温多湿の気候においては、車にクーラーは必需品となっていますが、そのクーラー装備のため、このエンジンへの要望が強かったようです。

 1997年にはマルチポイントインジェクションエンジンが導入されるとともにラジエーターが前向きに装着され、安全面での改良が施されました。  また、1990年10月には、大きく張り出たエアロパーツに太いタイヤが威圧感を放つ限定車(ERA社チューニング ERAターボ)も発表されました。

 1994年には設計者(エンジニア)イシゴニスの甥であるベルント・ピシェッツリーダー(当時のBMW社長)のもと、Miniを含むローバーグループはBMWの傘下に収まることになりましたが、この時、ヨーロッパの法規に準拠するためにMiniにエアバッグが装備されました。

 また、BMWはローバーをグループ傘下に収めるとともに、膨大な開発予算を計上し、新しい「MINI」の開発に着手しました。

 2000年当時、BMWは莫大な赤字を含むMGローバーの多くの部門を整理することを決定し、MGとローバーは新たに設立されたイギリスの合弁企業であるフェニックス社に売却し、ランドローバーについてはフォードに売却されました。