Miniについては、「ADO15」(「ADO」は"Austin Design Office"の略)というプロジェクトからその歴史が始ました。
この「ADO15」プロジェクトの最初の販売モデルは「オースチン・セブン(SE7ENとも表記)」、「モーリス・ミニ・マイナー」のブランド名でイギリスで発売されましが、1962年までには北アメリカとフランスでもオースチン850とモーリス850の名前でそれぞれ発売されました。
そして、1959年、1960年とF1のコンストラクターズ・チャンピオンに輝いたクーパー・カー・カンパニーの経営者ジョン・クーパーはMiniの潜在能力を見抜き、何度かのテスト走行と実験を重ねた後、友人であり、自動車設計者であるイシゴニスと共に、機敏で経済的なコストパフォーマンスに優れた車を作ることを決意しその成果として、1962年にオースチン・ミニ・クーパーとモーリス・ミニ・クーパーが誕生しました。
これらの車のエンジンについては、ベースとしたモーリス・ミニ・マイナーに搭載されていた848ccのエンジンの排気量を997ccまで増加させ、馬力においても34馬力から55馬力にまで高められました。
また、エンジンについてはレース向けのチューニングも施され、当時の小型車には馴染みのなかったSUツイン・キャブレターとディスクブレーキが装備されました。
そして、経営陣はこの新しいモデルの生産数を1000台としましたが、これは経営陣が参加を目指していた世界ラリー選手権 (WRC) に当時存在した生産義務台数規定(グループ2規定)を満たすための数字でした。